問題はそこじゃない
今朝のテレビで問題提起されたような気がしたので
真剣にに考えてみようと思う。
「買って来たお刺身」お皿に移し替えて出しますか?
ちなみにテレビでやってた方は
要するに
パックのまま出したことに対するご主人の言葉に憤慨していたわけだ。
「これじゃ、何のために結婚したのかわからない。」と言われれば
それは怒ります。
「せめて皿に出してくれよ。」
と言われたのなら怒らなかっただろう。むしろ「ごめんね。」という気持ちさえ湧いていたかもしれない。
こうなると、私の考える本題とズレてくるのでこれはちょっと置いとこう。
そんな時、夫を許せる方法を書き記してあったのでご参考にどうぞ👇
さて、うちの夫はどうなのだろう。
聞いてみた。
「気にしない。」
ふむ。夫にとってはどうでもいいことのようだ。
「なんで?なんで?」と聞いても全く関心を示さずどっか行ってしまった。
となると、これは私の側の気持ちの問題となってくる。
私の場合、お刺身を買う≒手抜きをしたい日
という図式が出来上がってしまっている。
お刺身を買った時点で向こうにアドバンテージを取られている。
しかし、お刺身というのは往々にしてお高い。
夕飯の一品にしては贅沢だ。
これにより、先ほどのアドバンテージは回収される。
五分五分の心理状態である。
ここで頭をよぎるのが
「母の教え」だ。
母の世代(昭和初期生まれ)というのは
夫が大黒柱で家族の為に働いて来てくれてるんだから感謝せよ、の世代。
いやぁ、今だってそうですけどね、ありがたいと思ってますけどね、
このぉ、感謝の気持ちの表し方がすごいんだよね。
お風呂は一番に入るとか
座る位置は一番テレビの見やすいとことか
お父さん寝てる時は静かにしろとか
朝一でポストからお父さんに新聞とって来いとか
ま、そういうカンジの「母の教え」。
なんかもう、パックでお刺身出してたら絶対なんか言われるって。
という考えだけは私にこびりついている。
しかし、私は前述の通り、
手抜きしたくてお刺身を買っている。
作るばかりか、洗い物だって減らしたいんだよ。
パックのお刺身に、まんま醤油ぶっかけろとは言ってない。
醤油皿は出しますよ。
しかもね、
お店の方の配慮もご覧ください。
肉や鮭の切り身のパックとは違って
なんか、お皿ふう。
そしてね、一番思うのは
お刺し身のパックっていうのはね、
ツマの上に大葉が乗っててその上にお刺し身が乗ってて
さらに菊なんかも乗ってる。
これをお皿に移し替えるとなると
なに?全体をスライドさせろってこと?
あるいは
一旦すべてを解体してまた積み上げるのか?
絶対何本かのツマがお刺身の上にきちゃったりして、台無しになったりするの。
そうだ。もう一人聞いてみよ。
息子だ。
「味はおんなじだしな。下手に触らないほうがいいんじゃね?」
だよねー。
「でも俺、刺し身だけっておかずになんないから、もう一品欲しいよね。」
そうだね・・・。
結局、なんだか言い訳がましいことばかりを言っておる私は
「お皿に移し替えたくない」派
だけどなんか罪の意識を覚えるので
「時々は移し替える」派
皆さんはどうですか?