お茶出しの1番効率がいいと思われる方法
まずは私がこれが正解と思ったやり方をお伝えしたい。
の前に、
そもそも、お茶出しが憂鬱と思っている方は
そんな無理してやらなくてよろしい。
「お茶出し」は特有の文化で、今の時代、強制されるものではない。
あるなしによって、何かが優遇されるなんてこともない。
ただただ、気持ちの問題なのであることをお忘れなく。
さて、話を進めます。
保冷バッグやクーラーバッグに
ペットボトルのお茶と
その場で食べなくても持って帰っていただけるような小袋に入ったおせんべいやチョコレートなどを入れておいて
「タイミングのいい時にどうぞ~。」と言って置いておく。
大抵お菓子は持って帰ってくれる。
そういうとこ、職人さんたちはとても気遣いができている。
10時と3時両方でもいいし3時だけでもいい。その日によって違っても全然かまわない。
昼食は出さなくていい。
職人さんの来る日に予定を合わせることもしなくていい。
自分の用事があればそちらを優先して
「ちょっと出かけま~す。」でいい。(家の中での作業の場合はこの限りではないけど)
トイレは
使っていただいて構わないと思うなら
「気軽に使ってくださいね。」と声をかける。
使われたくなければ何も言わない。
私は使ってくれて全然かまわないので言うが、
そうでない人も無理することはないとも思う。
その辺も職人さんの気遣いはホントに徹底されている。
時代とともに様々なことが変わる。
この「お茶出し」文化もそう。
大手の業者さんなんかは
まず最初に
「休憩時のお茶は不要です。トイレなども一切使用いたしません。」
などとうたっているところもある。
完全なるビジネスライク。
それはそれでお互い気を使わないしいいだろう。
しかし、ちょっと待て。
そう。
私は昭和生まれである。←太字にするまでもない事です。
関係ないけど 昭和の名曲のご紹介もしてますけど👇
小さいころには
猫の額の庭の垣根の剪定に庭師さんが来たり
ちょっと傷んだところを修繕に職人さんが入ったり
(全て見栄っ張りのばーちゃんが仕組んだことだが)
ばーちゃんなんかやたら張り切っちゃって
お茶どころかお昼まで用意するのが当たり前だったもんだ。
これは割とどこのお宅でもそうしていたと思う。
勿論、今のように
コンビニやらファミレスやらがそこここにある訳はなく
やらなきゃどうすんだよっていう時代背景があった。
そういうちょっとした時間にコミュニケーションとってあれこれ伝え合うのが常だったということもある。
しかし今は口約束がまかり通る時代ではないから
追加工事代金がかかるのかどうかとか、
きちんと紙面でやりとりしなければならない。
となるとお茶の時間のコミュニケーションはムダな時間になりかねない。
そもそも職人さんの側も若い世代の方々になってきているから
こんなBBAの話に付き合わせるのもどうかと思うしね。
都合のいい言葉だなと感じる言葉がある。
「私、コミュ障だから~。」である。
私もこの度、お茶出し問題を考えるにあたり
自分、コミュ障だからどうしよっかな~
などと考え、はっとした。
確かに、初めての人と、ましてや二人きりで話さなければならない局面は
かなり気が重い。
けど、私は愛想笑いが得意だ。若い時から得意だ。
愛想笑いで何度難局を乗り切ってきたかしれない。
その上、経験により多くの社交辞令や言うべき言葉などを習得した。
今や世の中のほとんどの人が年下と言う状況にあっては
敬語が曖昧でも許されることになってきた。
んなこたねーだろ。もとい、自分を許すことにしている。
ああ、あのころのばあちゃんに近づいてきているのかしら。
愕然。
そんなばーちゃんエピソード書いてます👇
とにかく、
自分は人付き合いが苦手です、と
開き直って、そういうことから逃げてしまうのはどうなんだろ。
「コミュ障だから」というのは
何て言うか、キャッチーと言うか、言葉が軽くで罪悪感がない。
話が逸れに逸れた。
とにかく私は何度か職人さんや様々な工事の方々と接することを経験し
例えば、
いつの間にか休憩が終わっていた、とか
すぐ食べて飲んでね!みたいなものを出しちゃったり、とか
声かけるタイミングを計り過ぎて疲弊した、とか
失敗を繰り返しはしたが
最終的には
「うちの事をやってもらってるんだから労いたい。」という
あまりにも単純な感情に気づいたので
「コミュ障」とか言ってるのは今ではないなと思ったわけである。
色々とカッコよくまとめた感がありますが、
ぶっちゃけ、
汗かいてくれた人にお茶の一本も用意しないような
そんな気が利かないケチな女でありたくはない。
えーーーーー
無理しなくていいってあれほど言ってたのに~?
人間は本音と建前で生きている。
ばーちゃん!あんた、いい女だったよ!